
何が人の幸せなのか?
この問いの回答は、人それぞれ様々という以外ありませんが、人の幸せを生む土台となる前提とは何か?という問いには全ての方に共通する前提事項があると私は思います。
人は生まれながらに自分の運命的な定めを持ち合わせている訳ではありません。その人その人の素質と社会環境が融合し経験を通じながら「内なる光」を見出していきます。
人の感情や感覚の振り幅を社会環境が包摂し制御する相互扶助、助け合いがなければ私達は幸せにはなれません。
「幸福」と欲望
欲望が満たされれば確かに幸せです。
生理的な欲求から始まり、安全・愛・所属・承認・自己実現と欲望は増幅していきます。しかしその欲望のコア(核)が自己に偏れば幸福度は下がります。
幸福度の低い社会とは個人化された社会。助け合いのない自己責任な社会です。間違いを起こして再起不能な社会では怖くてオロオロするばかりで不安ですよね。
幸せとは「他者」という社会があり、その他者から承認され愛や所属を受け、自らも誰かの他者になる事です。
馬鹿げた愚行を行なったとしても許し許され信頼関係を再構築できる社会環境がある。失敗しても改めてチャレンジできる社会制度がある。
これが人の幸せを生む土台となる前提です。
A:そんな前提、今の社会にないじゃない。
B:昔はまだ近所付き合いの様な世間という環境や終身雇用の様な家族的な制度があったんですけどね。
A:そんな面倒な煩わしさは要らないよ。
B:ならば今に合った新しい社会環境を一緒に作りませんか?
A:そんな社会設計、手に負えないよ。
B:でも、誰かに任せて文句を言うだけでいいのでしょうか?小さくても引き受けて考えるべきでは?
A:仮に新しい環境が出来ても、それが機能するか分からないじゃない。
B:たしかに作っても作ってもそれがその時の「幸せ」に繋がるかは分かりませんよね。
A:じゃ作る意味なんて無いじゃない。
B:それでも作り続けるしかありません。
AさんとBさんは同じ時代に生きていますが思考が真逆です。生活や家族の環境、素質の違いはあれど、ほぼ同じ様な条件下で生きているとします。何がこの様な違いを生むのでしょうか? Aさんは自己の為に、Bさんは誰かの為に生きています。他者という社会の為に生きているという前提が違います。それでもAさんの思考も社会という他者、環境が関係しているのです。
幸せを生む土台とは相互扶助を営める社会環境がある事。
共に切磋琢磨でき承認しある他者がいる事。
失敗も共に成長できたと捉えられたら
次のチャレンジ精神と尊厳が生まれ 幸福が熟成していくよね
失敗は成功のもと 成功より成長を
成長は他者という社会を受け入れ大切にするという「幸福」
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