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「心」×「ダンス」×「社会」


今回のテーマは「ダンス」です。

2024.8パリオリンピック競技種目にも選ばれ、女性ブレイクダンサーが金メダルを獲得した事は記憶に新しいのではないでしょうか。

2012には中学校の学習指導要綱にも盛り込まれた「ダンス」

そんな「ダンス」の社会的な役割とは何か?実はとても興味深い真実が隠されています。一緒に紐解いていきましょう!


前回は


「心」の問題を考える時「社会」を抜きに考える事は出来ない。とお話しさせて頂きました。何故なら私達は「社会」の中で対人関係・働き方・介護問題から子育てなど様々な問題を抱えながら生きています。その問題は社会システムの中で起き、システムのまだ充実していない構造や機能問題とそこに関わる人間関係おいて、私達の「心」は葛藤し苦しみます。

「〜ハラスメント」という名前だけは付くものの解決策は講じられず、自己責任論で片付けられてしまうのが現状です。

皆さんも、もう少し何とかならないかと感じた事が一度はあるのではないでしょうか。

また、単に心のケア・カウンセリング等を受け、ひと時の安堵を得たとしても、「充実してない社会機能」に再び放り出されるのであれば、それは単にこの社会維持の為のケアなのか?それは心の立場とは言えないケアではないのか?と私は考えます。

そしてNPOとはまだ「充実していない社会機能」に対し専門的に応じる事。これが存在意義であるとお話しさせて頂きました。


さて、現代社会において「ダンス」の役割といえばエンタメ等の文化面が大きいですが、私が知ってほしい事は認知症予防のカテゴリーにおいて「ダンス」はエビデンスベースで常に1位であるという事実!

この件はメンバーズサイトのテキスト・ポッドキャストでお伝えしていますので是非チェックしてみて下さい!今回はもう少し違う角度から「ダンス」を深〜掘りしていきます。


世界に「ダンス」の無い民族はいない


私はダンスは「祈り」だと直感します。ラグビーオーストラリア代表オールブラックスが試合の前、勝利を祈願する為に相手を威嚇するダンスを用いる事はご存知の方も多いと思いますが、どうしてこの様な意思表示は生まれたのでしょうか?


「死」


私達の祖先は狩猟民族として活動し、その後定住型の農耕民族として進化します。この2つの活動の大きな違いは「死」への対応です。

狩猟民族は、獲物がいなくなれば移動し、危機が近づけば逃げ、そして人の「死」はその場に置き去る事が出来ました。この時代、人は呪術と舞を持っていました。その時々の感情に対し衝動的に舞ったのです。


人は何故、舞うのでしょうか?

その答えは後ほど、まずは進化した農耕民族としての活動を見てみましょう。


農耕民族はそこに定住する為、狩猟民族としての移動は出来なくなります。

それは食料をその場で生産しなければならないという事。そして「死」を認めざるをえないという事。そのまま朽ちていく「死」を見続ける事は怖かった。これを埋葬・火葬という儀式として、人は「死」に対応していきます。

そして、また農耕は種まきから収穫までの共同作業という基本的な助け合いのルールを生み出しました。更に収穫物の保全、配分のルール、継承やそれを巡る紛争、解決のルール等、共同作業に力関係が介入し言葉と法に覆われていきます。

人間という種の生存率向上が目的であった農耕民族への進化は、現在の脳化社会と同等に損得勘定に苛まれていきます。


「祭り」


言葉や法、損得勘定のなかった狩猟民族の時代に「祭り」は存在しません。

その時代の力を取り戻す為、そして「死」という恐怖と対峙する為「祭り」は農耕民族の時代に生まれます。「祭り」と狩猟民族の衝動的な舞は「共同」を経て「共動」という「祈り」の舞に進化します。


「死」と「生」

「無」と「動」


人は何故、舞うのでしょうか?

身体を動かすとは「死」の裏返しで「ダンス」舞う・踊るという行為は対極にある極限の「生」です。

病気・感染症・災害など死を助長する恐怖に対し、極限の「生」として身体を衝動的に動かし祈った。

これが何故、人は舞うのか?の答えです。

戦いも「死」を覚悟します。対極にある極限の「生」としてラグビーオーストラリア代表オールブラックスも祖先の「祈り」を疑似的に用い、「オレたちは死を覚悟しこの戦いに望む」という意思を伝えているのです。

「死」という「無」に対し極限の「生」という「動」それが「ダンス」という「祈り」なのです。

世界に「死」の無い民族はいない 

ゆえに「ダンス」の無い民族はいないのです。


現代の「ダンスの役割」とは


農耕民族時代、前述した通り共同が生まれました。共同は結果的に言葉や法、損得勘定を生み出しますが「助け合う」という基本的なルールも生み出しました。

現代社会においてダンスという共同は「私達は助け合う事が出来る」かもしれないという感情を過去から湧き上がらせます。

複雑に入り組んだ現代社会において、人がどこかで諦めかけている「助け合う」という課題に対し、もしかしたら可能かもしれないと、考え直させてくれる唯一の疑似体験、それが「ダンス」なのです。


「音」


ダンスに「音」リズムは欠かせません。私達の脳機能にはテンポ・リズムを予測する「ビート予測機能」が備わっています。次のテンポ・リズムはきっとこうなるという予測機能が脳の快楽系を刺激し運動野を通じて内側前頭前野を働かせます。

*内側前頭前野の機能は発語・判断力・計画性を司ります。


「音」は心拍数を上げ「心」躍る

「音」「ダンス」は脳を活性化させ「私」を確立する

農耕から見出した「共同」という大いなる歓喜

現代における「ダンス」という体験の共有


それは「集団の絆」を想起させ魅了する


Shall we dance?

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