今回は私の家族についてお話しします。
母方の祖母はアルツハイマー型認知症父は脳血管疾患による認知症でした。
2人に共通した症状は見当識障害でした。
見当識障害とは時間や場所、人が分からなくなる事です。
症状の違いは、父はある程度最後まで母や私の事を把握していましたが、祖母は人の認識や物事の順序を判断出来なくなり、無口になっていきました。これは判断力等を司る前頭前野の機能低下でアルツハイマー型の認知症によくみられる症状です。発症時期も70代後半、支えだった姉や夫を亡くした事をきっかけに心のバランスが崩れ発症したと推測します。
父は髄膜炎や軽い脳梗塞を繰り返した結果、半側身体失認により着衣が難しくなり手指失認がみられ文字を書く事や物の操作が困難になっていきました。これは脳血管疾患による認知症にみられる症状です。
脳血管疾患の原因は糖尿病で、悪化に伴い人口透析に移行し最後の3年は認知症の進行も加速しました。
最後の診断は祖母は老衰、父は腎不全です。
父は戦後の幼少期に千葉に疎開しました。千葉は空襲からまぬがれ農地が沢山あり、そこに行けば食べる事ができると考えたそうです。
しかし、疎開してきた者に食べさせるまでの配慮は無く、皆が学校の昼に真っ白い米を食べる中、校庭の隅に逃げるか、ジャガイモをすり潰したものを弁当代わりに持っていった、その事でからかわれ、悔しい思いをしたそうです。
この過去が食欲を助長させ結果的に、糖尿病から脳血管疾患へ、そして延長線上にある認知症へと進行していきました。ある種の数式の様に。
時代背景もその過去に拍車をかけます。
父の生きた高度成長期、働く事こそ美徳とされ、テレビCMでは「24時間戦えますか?」のドリンク剤が売られていました。
駅のホームでは喫煙が可能で線路には沢山の吸い殻が落ちていました。
呑んだ締めに夜中、ラーメンを食べるのはきっとその当時の大人のマナーだったのかもしれません。
我欲との対話
アンガーマネージメント
マインドセット
セルフケア
身心との対話を考える時代ではなかったと言えばそれまでですが、時代は予防、ケアと移り変わりセルフからインクルーシブな包括的社会「共生」を目指しています。
新しいコミュニティの創出と活性化が期待されます。
父は私の活動を応援してくれていました。
「新しいラジオ体操を作れ」と言われた事を覚えています。
なかなかにデカいですよね。
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